新生活へのはなむけ

2022年4月30日土曜日

雑記

t f B! P L

 昨年度いっぱいで17年間務めた前職を退職しました。

 

 有休消化のために3月に1週間程休みが取れたので、もうすぐ3歳になる息子を連れて実家の秋田に帰省をしました。

 

 コロナも気になったのですが、陰性確認もとれたことと、新幹線もガラガラだったこと、両親も3回目のワクチン接種を済ませていることから予定通りに帰ることにしました。

 次にまとまって帰れるのもいつになるのか分かりませんし。

 

 旅行の工程はこんな感じです。

 

① 水戸から仙台まで自家用車で移動(常磐道)

② 自家用車を長町駅前に止めて電車で仙台駅に移動

③ 仙台から秋田まで新幹線で移動(秋田新幹線 こまち)

④ 帰りは逆の工程で水戸に帰る

 

 所要時間は車移動が3時間、新幹線が2時間、移動・乗り換えで1時間と合計6時間程度です。

 プラレールの新幹線に夢中の息子は本物の新幹線に乗れて大満足でした。

 幸い特にトラブルもなく過ごすことができました。

 両親にも孫を見せられ、雪遊びも出来たので良かったです。

 

 さて、その帰りの出来事です。

 




 東京行きのこまちに乗り仙台に移動していました。

 私は息子と車両の先頭の座席に座っていました。

 先頭座席は少し足元が広く、子供が動き回ることができます。

 私も息子の世話がしやすいのでスペースのある先頭座席を狙って予約していました。

 

 秋田新幹線はミニ新幹線です。

 秋田駅と盛岡駅までの間は在来線の線路を走っていきます。

 そして盛岡駅で北海道新幹線のはやぶさと連結して東北新幹線の線路に入ります。

 盛岡駅では連結と乗り降りがあるので少し停車時間があります。

 

 お昼過ぎに盛岡駅に着きました。

 車中で母の作ったおにぎりを食べた息子はすっかり寝入っています。

 

 そんな時、車両の後ろで「あっ!!」という声が聞こえました。

 20歳くらいの女性でした。

 受験なのか就職なのか、東京に向かうのでしょうか。盛岡駅から乗り込んだようです。

 女性は通路を駆け足でデッキに戻っていきました。

 出発にはまだ時間があるので新幹線のドアは開いています。

 

 息子が寝てしまい手持ち無沙汰な私は窓からぼんやりと盛岡駅前の風景を眺めていました。

 




 気が付くとデッキから会話が聞こえてきました。

 

 どうやら父親が娘の見送りにギリギリ間に合ったとう状況の様です。

 北東北独特のなまりで「まず、頑張れな。」と「うん。」という一言だけの会話です。

 

 何でもないその一言に自然と目頭が熱くなりました。

 彼女と大学に進学した時の自分が重なって見えたのです。

 

 今から24年前、当時18歳だった私も彼女と同じように1人で東京行のこまちに乗りました。

 

 お昼ご飯を食べてから出発したのだと思います。

 当時、両親はまだ仕事をしていました。

 弟は高校生で学校です。

 茨城に向けて出発する時、家には祖母だけがいました。

 

 「行ってきます。」と言ったかどうかは覚えていません。

 ただ、最低限の荷物だけをバッグに詰めて歩いて駅に向かう私を見えなくなるまで祖母が見送ってくれたことは鮮明に覚えています。

 

 その祖母は昨年の夏に亡くなりました。

 両親はとうに退職し弟夫婦と孫娘2人と暮らしています。

 

 私は卒業後も茨城で就職し、家族を持ち、暮らしています。

 

 秋田を出たあの春からいろいろなことがありました。

 それらが全て脳裏をよぎった気がしました。

 

 そして今年の春は新しい1歩を踏み出しました。

 これまでの仲間、

 これから出会う仲間、

 茨城の家族、

 秋田の家族、

 こまちのシートで寝息をたてている息子、

 みんなに「まず、頑張れな。」と言われた気がしました。

 

 女性の姿に重ねていたのは昔の自分ではない、今の自分の期待と不安だったとその瞬間に気が付きました。

 

 新たな1歩に向けてたくさんのはなむけをもらった帰省でした。

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病院・介護施設・福祉サービス事業所など組織力を高め、「人が集まる組織」、「人が辞めない組織」を作る専門家。 「定着率を2倍にする3つの視点」をベースに、採用・定着に関する仕組みづくりを総合的な組織改善を通してプロデュースしている。  高額でありながら離職しやすいとされる人材紹介サービス会社との付き合い方や対策アドバイスを専門的に行えるのは業界唯一である。

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